皆さん、鳥居にはいくつか種類があるのをご存知ですか。
あまり意識して鳥居を見ることがないかと思いますが、実は神社によってさまざまな形、素材があるのです。
京都には「京都三珍鳥居」と呼ばれる鳥居が3基、存在しています。
今回はそのうちの1基が設置された通称「蚕の社」(かいこのやしろ)にお参りしてきた話をします。
蚕の社の歴史とアクセス
「蚕の社」は正式には「木島坐天照御魂神社」(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)といいます。
単に「木島神社」(このしまじんじゃ)と呼ばれることもあります。
祭神は、天御中主命・大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命。
蚕の社の歴史
木島神社の創祀がいつなのかは不明ですが、「続日本紀」の701年の項にこの神社の名前が書かれていたので、それ以前だということだけがわかっています。
5世紀ごろから京都盆地には、たくさんの渡来人が移住するようになります。
そのうちの「秦氏」は、この神社のある嵐山周辺を開拓し、養蚕や機織、染色技術を広めました。
そして本殿東側(むかって右側)に「蚕養神社」があり織物の神様を祀っておられますが、蚕の社という名はこの社名にちなんでいます。
また、平安時代には「祈雨の神」として信仰されるようになりました。
蚕の社のアクセス
蚕の社へは嵐電を使った行き方が、嵐山方面からも四条大宮方面からも電車で1本で行けるので、いちばんわかりやすいかと思います。(車窓の眺めもいいですよ。)
四条大宮方面から乗っていると電車の中から第一鳥居が見えるので、道も分かりやすいですね。
・JR山陰本線「花園」、京都市営地下鉄東西線「太秦天神川」から徒歩(約7分)
他
※駐車場はありません
周囲は住宅街で、喫茶店などは見当たりません。
しかし目の前にセブンイレブンがあるので、そこで一休み。
蚕の社・京都三珍鳥居「三柱鳥居」と元糺の池
こちらの蚕の社、近頃ではパワースポットとして人気があります。
境内はそんなに広くないのですが、私が参拝したときもたくさんの方とすれ違いました。
京都三珍鳥居・三柱鳥居
私の今回のお目当ては、「京都三珍鳥居」のひとつ、「三柱鳥居」。
3基の鳥居を、上から見て正三角形になるよう組み合わせて設置したもの。
三方向からお参りすることが可能。
全国にも数カ所存在している。
ちなみに、蚕の社ではいつ頃から三柱鳥居が設置されるようになったのか、わかっていません。
現在の鳥居には、1831年(天保2年)に建て替えられたものだという銘が刻まれているそうです。
京都三珍鳥居のあとの2基は、北野天満宮の伴氏社、京都御所の厳島神社に設置されています。
こちらのブログで、いずれご紹介しますね。
元糺の池と枯れた水
この三柱鳥居は「元糺の池」の中に設置されています。
この柵の向こうに三柱鳥居。このように近づくことはできません。
この場所は「元糺の池」といい、本来は池なのです。
が、ご覧の通り池に水がありません。
というのも近年の環境の変化により、池の水が枯れてしまっているとのこと。
(ほかの神社でもこういう話をよく聞くなぁ……。)
こちらの池の水に手足をひたすと、しもやけや脚気にならないという言い伝えがあります。
残念ながらその恩恵にあやかれませんが、年に一度、夏の土用の丑の日にこの池にポンプで水を戻す作業が行われます。
ここで、「元糺の~」と聞くと、下鴨神社の「糺の森」を思い浮かべる方もおられるのではないでしょうか。
実は、蚕の社の「元糺」から下鴨神社へ神様がうつられたという伝承があるのです。
そのため、下鴨神社には「糺の森」ができたのです。
下鴨神社には、水の神様がおられます。
神様の歴史も紐解いてみると面白いものですね。
蚕の社のお参りの際のプチ情報
先ほども言いましたように、木島神社(蚕の社)の境内は広くはありません。
しかしながら静謐な空気が流れており、身が引き締まる思いがします。
パワースポットとして知られているのも納得の神社です。
ちなみに授受所のような場所は見当たりませんでした。
きっと地元の方が支えてらっしゃる神社なのでしょうね。
最後に……今回気になったのは、社殿のみならず周囲の森も荒れていたこと。
2018年の台風21号の影響でしょう。
巨木も倒れていたのに心が痛みます。
蚕の社は、古来の姿をとどめている(また、京都の発展を担ったとして)昭和60年に京都市の史跡に指定されています。
復旧が進むことを願っております。
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