なにを突然……という話なのですが、Twitterでとあるツイートが流れてきまして。
私が愛読しているブログはたくさんあるのですが、この上の小枝さんはそのうちのおひとりでして。
ブログ内でもいろいろと企画されているのですが、今回の企画は私も参加できそうだ!と思い、勢いでDMを送ってみましたところ、トントン拍子で参加が決まってしまいました。
そういうわけで、栄えある最初の企画!
メンバーでそれぞれ500文字程度の文章を書いて、リレー形式でつないでいき、3000文字の文章をみんなで作るというもの。
……結局、4人で回したので計1000文字書いた方がお2人おられるんですけどね。(私は500文字。)
そういうユルユルなルールも私にあっているのです。
というわけで、出来上がった文章を載せてみますね。
皆さんにとって「朝」は何でしょうか?
太陽が東から昇り、夜を西へ西へと追いやって1日が始まります。
1人1人、違う「朝」がある、当たり前のことを考えてみます。
実はこの記事は1人で書いていません。
複数の人が代わる代わる書いているのです。
明らかに言葉の選び方や文章の構成が違うのはそのためです。
目安は500文字、その文字数まで書いた文章の続きを書いてもらう。
とりあえず、3000文字程度の分量で一区切りにします。
うまくいくかは分からないけど、まずはやってみようの精神です。
さて、私にとっての朝は、滅びて欲しいものです。
ええ、滅びて欲しいです。
何故なら、ずっと寝ていたいから。
朝が来なければ、起きなくて良いじゃないですか?
朝、滅びて欲しい。
ずっと夜なら明日に怯えることもありません。
でも、朝が嫌いではないのですよ。
日が昇る前、雲が赤紫色に染まり、遥か彼方に黄金色の光が一点に入ります。
段々と日が昇り、静かに影が薄くなっていきます。
自分の息を吐く音が耳に木霊して、冷たい空気をまた吸い込みます。
眩しい光から目を逸らすように足下を見れば、小さな石ころが一つ転がっています。
蹴っ飛ばして、今日がまた始まっていくのです。
ひとえに、ひとえに寝ていたいだけなのです。
眠たいだけなのです。
朝だから起きなければならない強制感が嫌なだけなのです。
朝が滅びて欲しい、など言葉が強過ぎましたね。
いや、しかし、朝が来なければ寝ていられるから、本心でもあります。
もう少し柔らかく言い直しておきます。
朝よゆっくりと来ておくれ。
ゆっくり、できるだけゆっくり来ておくれ。
息を吸う音が耳に木霊して、冷たい空気をまた吸い込むように、ゆっくりと来ておくれ。
さて、「朝はゆっくり来て欲しい」と私は考えます。
しかし、朝は万人に訪れます。
そして、万人にとっての「朝」は一人一人違う訳です。
例えば、他にもこんな朝があります。
・寝坊で、バダバタして仕事の準備をする人
・ゆっくり起きて、いつもの様にコーヒーを飲む人
皆さんどういう朝を迎えたいですか?
大体の人はコーヒーを優雅に飲みたいと思います。
けれど、この例は夜に仕事をしている彼らの行動です。
夜なのに、朝
どういう事と、思われるかも知れませんが、皆さんの知人や友人に、夕方や夜から仕事をしている方はいませんか?
彼らにとってはその時間が、朝なのです。
僕自身も、生活スタイルが不規則なので、
夜中に起きる時間が、何日も続いてしまうと
僕の朝は夜中になってしまいます。朝に起きないいけない理由
朝に行っている行動、習慣なぜ、朝に起きないといけないと決まっているのか?
誰が朝はお日様が上がっている時間と決めてしまったのでしょうか?
僕にはわかりませんが、僕なりの持論の答えは出ています。・ホルモンバランスが崩れ、身体に悪影響を及ぼす可能性が、非常に高い為。
一度は聞いた事があると思いますが、
果たして本当にそうでしょうか?昔であれば、そうだったかもしれませんが、
2019年現在に至り
様々な、学者、医療、健康補助食が世界中で発表されてます、現代の医学な技術を持ってしても、本当に朝に起きなければならないなでしょうか?実はあなたの知らない所で、朝に起きなくても身体に悪影響を及ぼさない、医療が進歩しているかも知れませんよ。
毎朝行っている習慣について
、あなたは考えたことがありますか?
例えば私を例にとってみましょう。朝はアラームの音で目覚めます。
目覚めはしますが、起き上がりません。何度目かのアラームでやっと起き上がり、寝間着から部屋着に着替えます。
寝間着のままでも良さそうですが、それは私自身が許しません。
これは感覚の問題なのです。
それはさておき、行動です。
その後は洗顔をし、眼鏡からコンタクトレンズに付け替えます。
裸眼で見る世界はなんとも頼りなく、眼鏡かコンタクトを入れなくては不安になります。
けれども、知っていますでしょうか。
世の中の物は、裸眼で見るほうが美しいということを。飼い猫を裸眼で見てみます。
毛の一本一本が際立ち、眼の色が多彩だということに気づきます。
これは何ものかを通してしまうと、知らない世界なのです。
(人は、生まれたときは皆裸眼だというのに、おかしな話ですね。)それはさておき。
とても面倒な話なのですが、よそ行きの顔を作らなければなりません。
裸眼のままではいられないように、生まれたままの格好では何とも頼りないのです。作りすぎるのでもなく、逆に作らなすぎでもなく、人から後ろ指をさされない絶妙なバランスで化粧を済ませます。
その後は、いざ出陣です。いつも当たり前に来ていた朝を
ちょっと違う視点で見てみるととても
面白いものです。出勤途中でも
1日が全てが決まった事ではなく
毎日違う朝がやって来ます。日曜日の公園で昨日はラフな格好でジョギングしていた人は月曜日にはスーツを着てピシッと出勤していたり
出先で見かけたコンビニスタッフが
彼女?もしくは奥さんと仲睦まじく
歩いていたり
昨日まで咲いていなかった花が咲いていたりと
日々移り変わる季節や出来事が
面白く新しい1日が私達に
やって来るんです。ただそういったことを観察してみるだけで
日常も面白く感じられます。朝は朝で夜は夜でち違う一面あります。
それらを感じらるれるのは
他でもない人間だからだと思います。私達人間は四季を感じ感情を持ちまた
言葉や頭を使うことを身に付けた。それが出来るのは他でもなく人間だけ
毎日繰り返される朝は
私にとっても自分以外にとっても
なければならないものであるそう思うのは
他でもなく毎日出会う出来事も人が
そう思わせてるのかもさそれません。朝は苦手なら
苦手なりに朝の楽しみや
自分だけの至福の時間を
持つことも必要ではないでしょうかただそれだけで
また違う朝に自分に人に出来事が
全てが違う景色を見せてくれることでしょう。さて、ここまでたくさんの朝を迎えました。
昨日と同じ朝ではなく、明日と同じ朝でもありません。
当たり前のことをしたり顔で書いています。だけれども、今日迎える朝はいつもと同じ朝なのです。
それは、朝の習慣の積み重ねが今日の朝を作っているからです。
朝のルーティングの厚みが、今日の私を作っているのです。今よりも医療が発達した未来、いつもと同じように優雅にコーヒーを飲む人がいます。
子どもの頃に裸眼で見た猫の毛並みは、今はコンタクトレンズを通して見ている人がいます。スーツを着たあの人も、女性と仲睦まじく歩くあの人も、朝の習慣の積み重ねでできているのです。
ふと、文章を書くことも積み重ねでできていることに気付きます。
文章を書くのは、言葉の積み重ねです。
その言葉の積み重ねは昨日とも明日とも違う文章ですが、言葉を積み重ねることは同じです。文章を書くことは中々に大変です。
あれやこれやと考えを巡らします。
そうして巡らした考えをえっちらおっちら書き出していきます。誰に頼まれた訳でもないのです。
夜に起きている人もいます。
寝間着のまま過ごす人もいます。誰も見ていなくても咲く公園の花のように、誰かが見ていなくても言葉を積み重ねているのです。
そうして一つの文章が生まれるのです。だけれども、文章を書くことに意味があるならば。
500文字毎に積み重ねたこの文章は、どういった意味があるでしょうか?
今回のお題は「朝」でした。皆さんいかがでしたか。
ちなみに、今回のお題はピッタリのお題でしたね。朝を一回迎える、365日朝を迎えると1歳年を取ります。
朝を迎えると同時にそれは、365日分の経験を得ることになります。500文字の積み重ねにそういった経験を得ることが出来ると
私は確信しております。このSNSが活発な時代に、顔も性格も年齢も全て偽りかも知れない。
会社でも顔を偽って自分の性格を偽っている人たちが大勢いる。
もしかしたら、仕事や家事やプライベートが凄く忙しかったり、悩んでいるかも知れない
その何もお互いがお互いの事をわからない人達同士が、
1つの作品を作るという事は奇跡だと思います。お題を出されて、それを一人一人が500文字毎に積み重ねていく、
今はダメダメかも知れないけれど、
それに携わっている人の考えが完全一致した時の奇跡を見てみたい。あえて、お互いがお互いの思いのままに書いた作品が凄く良いかも知れない。
色々な作品、奇跡が見たい、そして皆さんと共に経験、成長していきたい。ルールも合ってないようなもの、ルールすら何もない状態で
一日でも一個でも多くの作品、奇跡に携わっていきたいと思った僕の365日の中のほんの1日の朝の奇跡でした。
Twitterコミュニティ「ブログを書く。」より引用
500文字しか書いてないのに、ボリュームのある文章ができました。
なんてお得な。
ちなみに私は、真ん中らへんの文章を書きました。
この文章の感想は、読んで下さっているあなたにお任せして、書いてるほうとしては自分でもどんな文章が飛び出すか分からなくて新鮮な体験でした。
それに、学生の頃の部活のようなノリで、楽しかったです。
文学部ってこんなんだったよな……、と。
入ったことないけど。
さて。
このブログも開設から1年半以上経ちますが、まだまだ迷走中です。
今回は、京都と全く関係のない記事でしたが、たまにはこういう記事も上げていこうと思います。
View Comments (2)
コミュニティ主です。
しっかりとした記事で驚いてます。
寝床から起きて時計を見たら出勤時間まで30分しかなかった時ぐらい、驚いてます。
部活のノリ、分かりみがすごい。
めっちゃ和気あいあいとしてますよね?
私も文芸部ではなかったですけど。
今度とも宜しくお願いします。
コメントありがとうございます!
えへ、そんなに驚きました?
こんな感じで、次の企画も記事にさせて頂きますね。
こちらこそ、よろしくお願いいたしますm(_ _)m